毎年、300型近いドレスを発表している「プロニプシア・グループ」。
2011シーズンでは、ブランドラインも増えて、ますます充実のラインナップとなっています。
さて、今回は「このブランドについて、もっと知っていただきたい!」と思い、
そのあたりのお話を書いてみました。
1958年にパリに第一号店をオープンして以来、
現在ではフランスプレタ・ウェディング ドレスメーカーのトップシェアブランドの地位を築き上げ、
世界各地にも店舗を展開する一大ドレスブランドとなった「プロニプシア・グループ」。
「日本の花嫁さんに、もっとこのブランドのことを知っていただきたい」
そして、なにより「このブランドのドレスを好きになっていただきたい」
と日々奮闘しています。
そんなフランスのドレスメーカー「プロニプシア」と 日本との出逢いのお話からはじめます。
「プロニプシア」が日本の花嫁さんに初めてお披露目されたのは、1974年(昭和49年)。
実は、このお店こそが、日本で最初の「インポートドレスショップ」なのです。
最初に、日本に「プロニプシア」を広めたのは、近藤ご夫婦。
奥様の(旧姓伊澤)三恵子さんは『私が愛したプロニプシア』という著書も出されています。
ご主人はもともと東映の映画監督で、奥様はフランス留学をされたご経験もあり、
ご夫婦ともに芸術、文化に大変精通されていて、とても仲の良い知的で素敵なおふたりです。
1974年、プロニプシアは「原宿パレフランス」というファッションビルにオープンします。
そこは、ファッション業界のみならず、いまや「伝説」として語られる場所。
フランスの高級ブランドを日本ではじめて紹介した、おしゃれな「聖地」でした。
雑誌「anan」「non-no」の創刊は、それぞれ1970年と1971年のことで、
おしゃれなファッションに身を包んだお嬢様たちは「アン・ノン族」と呼ばれていた時代です。
時代の先端を行く「未来の花嫁さんたち」がたちまちプロニプシアのドレスの虜になりました。
「おしゃれな女の子の花嫁衣裳はフランスの“プロニプシア”」というブランドイメージは
確実に定着していったのです。
こんなドレスたちが当時の彼女たちを夢中にさせていました。
ラブリーだけど、気品のある雰囲気は、色あせることなく、 現在もなお「プロニプシア」に息づいています。
残念なことに2003年、パレフランスは、ビルの老朽化の為に建て直しが決まり、
プロニプシアの直営店は1974年のオープン以来、沢山の花嫁さんのウェディングのお手伝いをし、
そして、このとき、30年間の幕を閉じました。
それから少し間があきますが、 プロニプシアがブランド設立50周年を迎えた2008年に新体制となり、
CEOがフィリップ・マッセに変わり、日本での販売、販促は弊社が請け負うことになりました。
近藤ご夫婦が30年間にわたり、大事に大切に育てたブランドを受け継ぐのは、荷が重いし、 役不足ですが、
少しでも日本の花嫁さんに広めることができたらと思っています。
最近、うれしい出来事がありました。
当時、原宿パレフランスで、プロニプシアのドレスを購入した方のお嬢様にお会いしたのです。
お母様がお嫁に行った時のお写真、なんと、そのときのドレスも拝見させて頂き、大変感激しました。
「PRONUPTIA」と当時のロゴの入った箱には、ドレスといっしょに、 コアフ、ジュポン、ヴェールなども大切に保管されていました。
もちろん、お嬢様がお選びになったのも、お母様とおなじ「プロニプシア」のドレス。
ご自分も「お嫁に行くときはプロニプシアのドレスで」と決めていらしたそうです。 親子2代で着て頂けて、ほんとうに嬉しく思っています。
プロニプシアのドレスは、時代を超えて沢山の人に愛されているとつくづく思います。
次回は、来年のプロニプシアのデザイン、コングレの様子を報告します。
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